マイクロコンピュータ用ソフトウェア

DECのMPS(MicroProcessor Series)、IntelのMCS-4, MCS-8, MCS-80、MotorolaのMC 6800, National SemiconductorのIMP-4, IMP-8, IMP-16、RaytheonのRP-16、RCAのCOSMAC、Rockwell InternationalのPPS-4, PPS-8といったマイクロプロセッサ上で動作するソフトウェア

[出典]
山中和正、田丸啓吉(1976)『マイクロコンピュータ入門』日刊工業新聞社、pp.112-113の表9.1「マイクロコンピュータのソフトウェアの現状(資料:IEEE Spectrum)

ミニコンピュータ vs マイクロコンピュータの性能比較

ミニコンピュータ vs マイクロコンピュータの性能比較(1974年,1978年)
マイクロコンピュータのCPU性能は,下図にあるように1978年頃にはミニコンピュータに近くなっている。
 
「マイクロプロセッサの市場はアメリカでは1974年に比べて1978年には5倍となり,1982年までには12倍となると予想されている.この1~2年に今日のミニコンと同一性能で低価格のマイクロコンピュータが供給されるようになろうが,市場としては,8ビットマイクロコンピュータ( ~40%),コンピュータとしての応用 (~30%)が中心となると予想されている.」
[出典]東山尚(1978)「応用システムの設計と開発」電子通信学会編『マイクロコンピュータとその応用』電子通信学会,第9章,p.305
 
1970年代マイクロコンピュータとミニコンピュータの性能比較
マイクロコンピュータ ミニコンピュータ
命令種類 48~78 100~200
基本命令
実行時間
2~20μsec 0.5μsec
割り込み 1~8レベル 多重レベル
ハードウェアによる
割り込み処理機能あり
DMA 一部あり 標準
メモリー ROMとRAM RAM
その他 スタンダードI/Oなし
基本ソフトウェアなし
スタンダードI/Oあり
基本ソフトウェア完備
 
[出典]泉川新一(1983)『マイコン・パソコンとOA入門 基本18章』電波新聞社、p.365

1970年代中頃の日本におけるマイコン・キット

 
マニア向け「商品」として好評を博した技術者向け「評価用キット」- 専門技術者層を超えたコンピュータへの憧れの存在
 現在ではパソコンの心臓部として欠くべからざる重要部品であるCPUは、その登場時は「マイクロコンピュータ」と呼ばれていた。その当時は、現在とは異なり性能が低かったこともあり、CPUが一体何の役に立つのか、まだはっきりとはしていなかった。
 そのためCPUは関連技術者に対して、それがどのようなものであるのかを理解してもらうことや、コンピュータとしてのその性能がどの程度のもであるかを評価してもらうことを目的とした「マイコン・キット」として売り出された。本来は技術者向けの評価キットであったのだが、下表のようにコンピュータが普通の個人にもなんとか手が届く値段で手に入るということで、マニアを中心として大変な人気を博した。
 先行したアメリカでは、数多くのマイコンクラブが作られていた。そのマイコンクラブの中での伝説的存在が、1975年3月に第1回目の会合を開催したThe Homebrew Computer Club [brewとは醸造酒のことであり、home brewは自分で酒を作ることを意味する。そこから転じて、この文脈ではコンピュータを手作りするクラブという意味である]であった。The Homebrew Computer Club には、後のアップル社を作り上げたスティーブン・ジョブズやスティーブン・ウォズニアックなどパソコン業界の数多くの有名人が所属していた。
  「マイコン」はマイクロコンピュータの省略形であると同時に、マイ・コンピュータ(個人用コンピュータ)の省略形でもあった。高くて個人にはとても買えそうになかったコンピュータが、自分のものになるということでマニアの間で大いに人気を博したのである。
 
日本におけるマイコン・キット時代 – 1976~1978年
 
 下表のように、日本でも1976年8月発売のNECのTK-80のヒット(売れても2,000台程度と考えられていた[注]のが、総計6万台も売れた)を契機に、アメリカにさほど遅れることなく、マイコン・キットのブームが起こった。そしてそれがNECのPC8001などのパソコン・ブームへと転化していった。

 
[注]遠藤諭(2019)によれば、「TK-80は、「教材用なので200台も売れれば」と考えて作られたものだったが、期せずしてコンピュータとして受け入れられ、後年「第一次マイコンブーム」と呼ばれることになる大きなうねりを作っていく。TK-80は、発売後2年間で約2万5000キットを販売。」とのことである。
遠藤諭(2019)「TK-80、PC-8001、NECのパソコンはこんな偶然から始まった」遠藤諭のプログラミング+日記 第67回、2019年08月08日
https://ascii.jp/elem/000/001/912/1912291/
 

 関連雑誌としては、日本初のマイコン専門誌『I/O』が1976年に西和彦、星正明らによって創刊されている。創刊後の発行部数は3,000部であった。1977年にはアスキー社によって『ASCII』が創刊されている。

1977年前半に日本で発売されていたマイコン・キット

 
[出典]
 
 
TK-80のヒットに触発されて、1977年以降に日本メーカーが発売したマイコン・キット
発売時期 メーカー名 製品名 使用CPU 価格
(円)
画像および関連情報
1977年3月 富士通 LKit-8 富士通 MB8861N(1MHz)
(6800互換)
93,000  
1977年8月 日立 日立トレーニングモジュール
H68TRA
日立 HD46800
(6800互換)
99,000  
1977年9月 パナファコム ラーニングキット
LKit-16
パナファコム MN1610 98,000
1978年3月 東芝 TLCS-80A EX-80

東芝 TMP9080AC
(8080互換)

85,000  
1978年12月 シャープ SM-B-80T シャープ LH0080
(2.5MHz,Z80互換)
85,000 RAM 1KB(3KBまで拡張可能)
1978年12月 NEC

μCOM Basic Station
TK-80BS

TK-80などと組み合わせるためのキーボードやRAM、ROMなどの周辺機器セット 128,000 マイコン・キットとしてマイクロソフト社のBASICを最初に搭載
1978年5月 シャープ MZ-40K 富士通製の4ビットCPU
「MB8843」1.8MHz
24,800 子供向けのおもちゃとしてのキット[注]

シャープのMZ-40Kに関する注
他のキットとはターゲット顧客が異なり、「技術者向けのトレーニングキット」ではなく、「子供向けのおもちゃとしてのキット」であることに注意。「マイコン博士」という商品名称で売られていた。CPUは「ワンチップタイプのマイコン」で、「1KBのROMと64ワード×4ビットのRAMを内蔵し、37本のI/Oポート」を備えている。
http://cwaweb.bai.ne.jp/~ohishi/museum/mz40k.htm
MZ-40Kについては下記Webサイトの該当ページも大いに参考になる。
http://www.sharpmz.org/index.html
MB8843に関わる詳細な技術情報が下記WebページのPDFにある。
http://www.sharpmz.org/download/mb8843.pdf

 
[出典]
SE編集部編(1989)『僕らのパソコン10年史』翔泳社,p.14
太田 行生(1983)『パソコン誕生』日本電気文化センター,p.29
パナファコム ラーニングキット LKit-16:http://www.st.rim.or.jp/%7Enkomatsu/evakit/LKit16.html
シャープ SM-B-80T : http://www.retropc.net/ohishi/museum/80t.htm


[関連参考資料]
山中和正、田丸啓吉(1976)『マイクロコンピュータ入門』日刊工業新聞社,pp.30-31の表3.1「各種のマイクロコンピュータ」

著作権裁判関連 – Apple

Liberman, A.(1984) “The “Apple” Cases: A Comparison of the American and Australian Decisions” UNSW Law Journal, Vol.7 No.1, pp.143-159
http://www.unswlawjournal.unsw.edu.au/sites/default/files/7_liberman_1984.pdf
McKeough,J. (1984) “Case Note: Apple Computer Inc. v. Computer Edge Pty Ltd,” UNSW Law Journal, Vol.7 No.1, pp.161-172
http://www.unswlawjournal.unsw.edu.au/sites/default/files/8_mckeough_1984.pdf
Waters、L. (1988) “CIRCUIT LAYOUTS BILL 1988,” Apri 1989 COMPUTERS AND LAW NEWSLETTER,p.13
* Lesley Waters
http://www.austlii.edu.au/au/journals/ANZCompuLawJl/1989/14.pdf

Intel 8080 vs Motorola MC6800 — 対応プログラミング言語ソフトウェア、発売開始時期

Howard Falk (1974) “Computers: Microcomputer software makes its debut,” IEEE Spectrum IEEE Spectrum, Octover 1974,pp.78-84, DOI: 10.1109/MSPEC.1974.6366690のp80のSome currently available microcomputer softwareの表では利用可能なCross-Assembler、Self-Assembler、Editorが下記のようになっている。

Microcomputer Systems Cross-Assembler Self-Assembler Editor
Intel
MCS-4
MCS-S
MCS-80
Written in ANSI standard Fortran IV; source deck, $1250; now used on many systems, including IBM, CDC, and Univac, Time-sharing versions now up on several commercial systems.
Offers macro and conditional assembly capabilities
Versions for MCS-8 an -80 are compatible with the cross-assemblers.
MCS-4 version is not compatible.Available only to development system users.
No charge
Editors run on MCS-8 and -80. Manipulate strings, search, and substitute.
Available only to development system users.
No charge
Motorola Semiconductor Products MC6800 Runs on Tymshare system ; macro capabilities are in development
None
None Source statemen text editor runs on GE Tymshare system
 
販売開始時期ほか
Electronics December 26, 1974, Vol. 47 No. 26 (Published December 20, 1974) pp.114-115の記事
本記事の中では、モトローラのMC6800がサンプリング出荷の段階からフル生産の状態に移行しつつあることや、少量出荷時でMC6800の価格が$360、ROMが$35、RAM(MCM6810L,128-word-by-8-bitすなわち128byte)が$30.5であることが報じられている。
Michael Holley, Motorola M6800 Microprocessor Historyで同記事をダウンロードできる。
 
Fagginの証言
“It took a year to put the 8080 into silicon and the first production run was in December 1973. Intel introduced the chip to the market in April 1974 at a price of $360. The response was so great that the first five months of shipments repaid the 8080’s development costs.”
After the 4004: the 8008 and 8080. By Federico Faggin
http://www.electronicsweekly.com/blogs/mannerisms/yarns/after-the-4004-the-8008-and-80-2008-08/
“The 8080 really created the microprocessor market. The 4004 and 8008 suggested it, but the 8080 made it real.The 8080 really created the microprocessor market.” Faggin(1992)p.150
Faggin, F. (1992) “The Birth of the Microprocessor”,Byte, March 1992, pp.145-146,148,150
 
当時の解説書
 
CPUの処理速度 —- MIPS値
Intel 8080 0.64MIPS(4004の約20倍、8008の約10倍の総合的性能)(動作周波数2MHz)
Motorola MC6800 0.7-1.3MIPS(動作周波数8-16.7MHz)
[Motorola MC6800のMIPS値の出典]金田悠紀夫(1991)『マイクロプロセッサとRISC』(電子情報通信学会編コンピュータアーキテクチャシリーズ)オーム社、p.2。

ミニコンピュータのCPUのLSI化

DEC LSI-11

「KDF11」
本WEBページの著者によれば、1970年代後半以降には、下記のような理由からミニコンピュータのCPUのLSI化が実行された。

  1. CPUのLSI化により「コンパクトで低価格、さらに高性能を引き出せるかもしれない」
  2. 「大型コンピュータと違い、比較的小規模なコンピュータなので、当時のLSI技術でもLSI化できる見込み」がある
  3. 「ソフトウェアはそのまま使えるし、バスも従来製品のものを踏襲すれば、入出力やメモリシステムを最初から設計し直す必要はない」

NOVAもmicroNOVAとしてLSI化(Fairchild Semiconductor社が製造)=ワンボードプロセッサー化され、DECのPDP-11はLSI-11としてLSI化=ワンボードプロセッサー化された。
DECのPDP-11というミニコンピュータには「多数のユーザがいて、多くのソフトウェア資産やハードウェア資産があり、新興勢力のマイクロコンピュータ勢とは貯えているものが違」ったが、そうしたのである。
ミニコンのCPUのLSI化に関するnkomatus氏の次のような記述はとても興味深い。

「DECは1975年6月に、Western Digitalからマイクロプログラム方式のLSIセットであるMCP-1600を買い込み、それに実行させるマイクロプログラムを書き上げてPDP-11と互換を持たせる方法で、LSI化したミニコンピュータを開発し発表しました。それがLSI-11です。そして、1977年には半分の基板サイズにCPUだけを実装したLSI-11/2を発表します。・・・中心となるLSIのチップセットはF11と呼ばれ、データチップのDC302、コントロールチップのDC303、メモリ管理ユニット(MMU)のDC304から構成されます。オプションで浮動小数点演算命令をサポートするマイクロプログラムROMも搭載できます。これらはDECの独自開発で、LSI-11とLSI-11/2の後継として1979年3月に発表されました。 」
「私は1985年頃、LSI-11/73を使っていました。当時のPCと比べれば、それなりの高性能でした。ただ、バスの規格が古くなっていて、バスの転送速度によって能力がかなり押さえられてしまっていた印象があります。だからこそLSI-11/73はキャッシュメモリをボード上に搭載し、性能をなんとか維持していたのでしょうが。LSI-11バスはUNIBUSの流れを汲み、IBM-PC/ATのISA busと同程度かそれより遅いくらいでした。バスを再設計して、膨大な周辺ボードまで開発し直したりOSを書き換えるほどの価値はないと判断されたのでしょう。パーソナルコンピュータレベルの能力がだんだん近づいてきていましたから。
また、ミニコンピュータの用途としては汎用計算機として使われる他に、大きな工場の機械群を制御する組み込み用コンピュータという面がありました。こちらは8 bitや16 bitのマイクロプロセッサを複数使って制御した方が開発や運用が楽になるということから、やはりシェアを減らします。マイクロプロセッサを組み合わせるぐらいでは使い物にならない、データベースを操作しながら行うような工場全体の製造管理システムにはスーパーミニコンピュータや大型コンピュータが使われるでしょうから、マイクロプロセッサの高性能化に伴い、未来が閉ざされてしまいました。
なお、さらにコストが厳しく性能が低くてもかまなわい分野の組み込み用コンピュータとして使われていたPDP-8シリーズは、PDP-11シリーズより先にマイクロコンピュータの波にのまれてしまっています。そういえば、PDP-8/EはIntersil社からIM6100シリーズとしてマイクロプロセッサ化されています。IM6100シリーズの際立った特徴に完全CMOS化という点があります。低消費電力で電源電圧範囲も広く(4 – 12 V)、乾電池を(安定化電源回路を通さずに)そのまま電源にして動くコンピュータが作れました。 」
 
Section Two: Forgotten/Innovative Designs before the Great Dark Cloud
Part V: The Western Digital 3-chip CPU (June 1976) .
本WEBページの記述によれば、LSi-11のALUチップは、26個の8ビットレジスターと8ビットのALUユニットから構成されている。
 

同様の記述は下記にもある。

William Stallings, Computer Organization and ArchitectureのChapter 20 “Microprogrammed Control”
LSI-11というワンボードプロセッサは、dataチップ, controlチップ,control storeチップという3個のチップから構成されている。そしてdataチップは、”an 8-bit ALU”と26個の8ビットレジスターを中に持つ。 26個の8ビットレジスターの内、16個で”the eight 16-bit general-purpose registers of the PDP-11″の役割を果たすように実装されていた。他のレジスターは、”a program status word, memory address register (MAR), and memory buffer register”として利用されている。ALUは一度に8ビットしか取り扱えないので16-bitCPUのPDP-11の arithmetic operatioの実行はマイクロプログラムにより制御され2パスでなされた。
なおcontrol store chipチップは22ビット幅のcontrol memoryを持っている。
 

モトローラのCPU歴史関連

Michael HolleyがM6800の起源を研究する中で見つけた、モトローラのM6800およびモステクノロジーのMCS6502に関連する論文資料が紹介されている。
その中では、モトローラのMC6800がサンプリング出荷の段階からフル生産の状態に移行しつつあることや、少量出荷時でMC6800の価格が$360、ROMが$35、RAM(MCM6810L,128-word-by-8-bitすなわち128byte)が$30.5であることを報じたElectronics December 26, 1974, Vol. 47 No. 26 (Published December 20, 1974) pp.114-115などの記事をダウンロードできる。
 
安田寿明「モトローラCPUの歩み」『THE COMPUTER』1988年8月号,p66
 
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/FEATURE/20141212/394137/
『日経WinPC』2010年8月号に掲載された連載「CPU今昔物語」を再掲したもの
 
3011年7月4日から同年10月30日にかけて、蝉の輪会(日立半導体OB をメンバーとする任意団体)のホームページに掲載された記事をベースとして加筆訂正されたもの。
同記事によれば、1974年10月の時点で「インテルはこの年の6月にすでに8080を製品化しており、モトローラは6800の製品発表を間近にしていた。」という状況であり、2014年10月11日のモトローラ訪問時に同社のマイコン部門のマーケティング担当のコメッツ氏により「すでに200社以上の顧客にサンプルが出されて好評を得ているとのことである。現時点ではインテルの8080がシェアを独占しているが、6800は「5ボルト単一電源」の特長があって使いやすく、2年後の76年時点では50%の市場シェアを取れると確信しているとのこと。また、セカンド・ソースを持つことによって顧客に安心感を与え、インテル陣営に対抗したいとのことで、日立がセカンド・ソースになることを歓迎する」との説明を受けたとしている。
同記事によれば、日立では「8ビット・マイコンについてはシステム・アーキテクチャの設計が最重要であり、デバイス・プロセス技術者を主体とする半導体事業部のリソースのみで取り組むことは難しいと判断していた。中研のシステム部門の助けを借りることにして、72年下期から「依頼研究」の形でオリジナル品の検討が進められた。」が、マイクロプロセッサ事業の立ち上げが急務であるとの認識から、8ビット・マイクロプロセッサ製品に関しては「独自開発」の検討は続けつつも、「先進メーカーとの連携によるセカンド・ソース」路線の採用が必要であるとの意見を牧本次生を具申している。
牧本次生によれば、その理由は「社内でも独自の8ビット品についての検討が進んでいたが、インテル社の8080、モトローラ社の6800との比較検討では、性能的に勝ち目はなかった。その理由の一つはインテル、モトローラともにNMOSベースの製品を開発していたが、日立の製品はPMOSがベースになっていた。PMOS LSIの技術によって電卓で圧勝したことが却って裏目に出たといえるかもしれない。」という認識に基づくものであった。
 その中で1974年5月に訪米し、「WE、RCA、IBM、TI(ダラスとヒューストン)、モトローラ、フェアチャイルド、HAL(日立アメリカ)」などを訪問した結果などを踏まえ、「技術ベースの比較、あるいはマネジメントの視点での戦略シナリオ比較など、多くの議論」をした結果として、「8ビット・マイコンについては、オリジナル製品での勝ち目は難しい。インテルまたはモトローラとの提携が必要」ということが決まり、インテルとモトローラの交渉に臨んだが、セカンドソースの利用承諾をインテルからは得られず、モトローラと組むことになった。
 
MC6800関連資料