マニア向け「商品」として好評を博した技術者向け「評価用キット」- 専門技術者層を超えたコンピュータへの憧れの存在
現在ではパソコンの心臓部として欠くべからざる重要部品であるCPUは、その登場時は「マイクロコンピュータ」と呼ばれていた。その当時は、現在とは異なり性能が低かったこともあり、CPUが一体何の役に立つのか、まだはっきりとはしていなかった。
そのためCPUは関連技術者に対して、それがどのようなものであるのかを理解してもらうことや、コンピュータとしてのその性能がどの程度のもであるかを評価してもらうことを目的とした「マイコン・キット」として売り出された。本来は技術者向けの評価キットであったのだが、下表のようにコンピュータが普通の個人にもなんとか手が届く値段で手に入るということで、マニアを中心として大変な人気を博した。
先行したアメリカでは、数多くのマイコンクラブが作られていた。そのマイコンクラブの中での伝説的存在が、1975年3月に第1回目の会合を開催したThe Homebrew Computer Club [brewとは醸造酒のことであり、home brewは自分で酒を作ることを意味する。そこから転じて、この文脈ではコンピュータを手作りするクラブという意味である]であった。The Homebrew Computer Club には、後のアップル社を作り上げたスティーブン・ジョブズやスティーブン・ウォズニアックなどパソコン業界の数多くの有名人が所属していた。
「マイコン」はマイクロコンピュータの省略形であると同時に、マイ・コンピュータ(個人用コンピュータ)の省略形でもあった。高くて個人にはとても買えそうになかったコンピュータが、自分のものになるということでマニアの間で大いに人気を博したのである。
そのためCPUは関連技術者に対して、それがどのようなものであるのかを理解してもらうことや、コンピュータとしてのその性能がどの程度のもであるかを評価してもらうことを目的とした「マイコン・キット」として売り出された。本来は技術者向けの評価キットであったのだが、下表のようにコンピュータが普通の個人にもなんとか手が届く値段で手に入るということで、マニアを中心として大変な人気を博した。
先行したアメリカでは、数多くのマイコンクラブが作られていた。そのマイコンクラブの中での伝説的存在が、1975年3月に第1回目の会合を開催したThe Homebrew Computer Club [brewとは醸造酒のことであり、home brewは自分で酒を作ることを意味する。そこから転じて、この文脈ではコンピュータを手作りするクラブという意味である]であった。The Homebrew Computer Club には、後のアップル社を作り上げたスティーブン・ジョブズやスティーブン・ウォズニアックなどパソコン業界の数多くの有名人が所属していた。
「マイコン」はマイクロコンピュータの省略形であると同時に、マイ・コンピュータ(個人用コンピュータ)の省略形でもあった。高くて個人にはとても買えそうになかったコンピュータが、自分のものになるということでマニアの間で大いに人気を博したのである。
日本におけるマイコン・キット時代 – 1976~1978年
下表のように、日本でも1976年8月発売のNECのTK-80のヒット(売れても2,000台程度と考えられていた[注]のが、総計6万台も売れた)を契機に、アメリカにさほど遅れることなく、マイコン・キットのブームが起こった。そしてそれがNECのPC8001などのパソコン・ブームへと転化していった。
[注]遠藤諭(2019)によれば、「TK-80は、「教材用なので200台も売れれば」と考えて作られたものだったが、期せずしてコンピュータとして受け入れられ、後年「第一次マイコンブーム」と呼ばれることになる大きなうねりを作っていく。TK-80は、発売後2年間で約2万5000キットを販売。」とのことである。
遠藤諭(2019)「TK-80、PC-8001、NECのパソコンはこんな偶然から始まった」遠藤諭のプログラミング+日記 第67回、2019年08月08日
https://ascii.jp/elem/000/001/912/1912291/
関連雑誌としては、日本初のマイコン専門誌『I/O』が1976年に西和彦、星正明らによって創刊されている。創刊後の発行部数は3,000部であった。1977年にはアスキー社によって『ASCII』が創刊されている。
1977年前半に日本で発売されていたマイコン・キット
[出典]
矢田光治(1977)「マイクロコンピュータ1問1答」(『電子雑誌 エレクトロニクス』昭和52年4月号付録),オーム社,p.3
SE編集部編(1989)『僕らのパソコン10年史』翔泳社,p.14
SE編集部編(1989)『僕らのパソコン10年史』翔泳社,p.14
TK-80のヒットに触発されて、1977年以降に日本メーカーが発売したマイコン・キット
発売時期 | メーカー名 | 製品名 | 使用CPU | 価格 (円) |
画像および関連情報 |
1977年3月 | 富士通 | LKit-8 | 富士通 MB8861N(1MHz) (6800互換) |
93,000 | |
1977年8月 | 日立 | 日立トレーニングモジュール H68TRA |
日立 HD46800 (6800互換) |
99,000 | |
1977年9月 | パナファコム | ラーニングキット LKit-16 |
パナファコム MN1610 | 98,000 | |
1978年3月 | 東芝 | TLCS-80A EX-80 |
東芝 TMP9080AC |
85,000 | |
1978年12月 | シャープ | SM-B-80T | シャープ LH0080 (2.5MHz,Z80互換) |
85,000 | RAM 1KB(3KBまで拡張可能) |
1978年12月 | NEC |
μCOM Basic Station |
TK-80などと組み合わせるためのキーボードやRAM、ROMなどの周辺機器セット | 128,000 | マイコン・キットとしてマイクロソフト社のBASICを最初に搭載 |
1978年5月 | シャープ | MZ-40K | 富士通製の4ビットCPU 「MB8843」1.8MHz |
24,800 | 子供向けのおもちゃとしてのキット[注] |
シャープのMZ-40Kに関する注
他のキットとはターゲット顧客が異なり、「技術者向けのトレーニングキット」ではなく、「子供向けのおもちゃとしてのキット」であることに注意。「マイコン博士」という商品名称で売られていた。CPUは「ワンチップタイプのマイコン」で、「1KBのROMと64ワード×4ビットのRAMを内蔵し、37本のI/Oポート」を備えている。
http://cwaweb.bai.ne.jp/~ohishi/museum/mz40k.htm
MZ-40Kについては下記Webサイトの該当ページも大いに参考になる。
http://www.sharpmz.org/index.html
MB8843に関わる詳細な技術情報が下記WebページのPDFにある。
http://www.sharpmz.org/download/mb8843.pdf
http://cwaweb.bai.ne.jp/~ohishi/museum/mz40k.htm
MZ-40Kについては下記Webサイトの該当ページも大いに参考になる。
http://www.sharpmz.org/index.html
MB8843に関わる詳細な技術情報が下記WebページのPDFにある。
http://www.sharpmz.org/download/mb8843.pdf
[出典]
SE編集部編(1989)『僕らのパソコン10年史』翔泳社,p.14
太田 行生(1983)『パソコン誕生』日本電気文化センター,p.29
パナファコム ラーニングキット LKit-16:http://www.st.rim.or.jp/%7Enkomatsu/evakit/LKit16.html
シャープ SM-B-80T : http://www.retropc.net/ohishi/museum/80t.htm
太田 行生(1983)『パソコン誕生』日本電気文化センター,p.29
パナファコム ラーニングキット LKit-16:http://www.st.rim.or.jp/%7Enkomatsu/evakit/LKit16.html
シャープ SM-B-80T : http://www.retropc.net/ohishi/museum/80t.htm
[関連参考資料]
山中和正、田丸啓吉(1976)『マイクロコンピュータ入門』日刊工業新聞社,pp.30-31の表3.1「各種のマイクロコンピュータ」