米国の主要PCメーカーの1979年および1982年の世界売上高

米国の主要PCメーカーの1979年および1982年の世界売上高(単位 100万ドル)

会社名 1979年 1982年
Apple 75 664
IBM  –  500
Tandy {Radio Shack) 150 466
Commodore 55 368
Hewlett-Packard NA 235
Texas Instruments  –  233
Digital Equipment Corp.(DEC)  –  200

[引用元]
International competitiveness in electronics, University of Michigan Library,p.149のTable 38.-Major U.S. Manufacturers Ranked by 1982 Worldwide Microcomputer Sales
[原出典]
1979年 ”The Datamation 100,” Datamation, June 1980, p 87
1932年 Archbold,P. (1983) “The Datamation 100 Welcome to the Club,” Datamation, June 1983, p.87

リレー式計算機

プログラム駆動型の機械的計算機の実用化は、歯車駆動の動力源に関する蒸気動力や電気動力というイノベーションによってではなく、演算素子に関する「歯車」から「リレー」(継電器)へのイノベーションによって実現された。リレーとは、電磁石に電流を流すと発生する磁力を利用してスイッチのオン・オフを機械的におこなう装置である。

ただし新しい演算子であるリレーという機械的部品は、より高速な機械的計算機に対する必要性に対応して新規に発明されたものではなく、電話交換機用の部品として既に利用されていた部品である。歯車を演算素子とする機械的計算機の高速化のための技術的シーズ(seeds)としてリレーが利用されたのである。

 
リレーを演算素子とする機械的computer
 リレーが演算素子として利用可能であることは1930年代後半に広く知られるようになった。プログラムが動作するリレー式計算機の最初期のものに、ドイツのツーゼ(Konrad Zuse,1910-1995)のZ2(1939、リレー数600個)やZ3(1941、演算処理用600個、記憶処理用1,400個でリレー総数2,000個)、アメリカのエイケン(Howard Aiken)が考案しIBMが製作したHarvard Mark I(1944、リレー数3,304個)などがある。
エイケンのハーバード大学における博士論文の指導教授 E. L. Chaffeeの専門は真空管および真空管回路であり、エイケンの博士論文も真空管に関わるエレクトロニクス分野のものであったにも関わらず、エイケンがHarvard Mark Iにおいて演算素子として真空管ではなくリレーを選択したのは、技術的問題というよりは「製造コスト」および「実際の設計・開発を担ったのがIBMであった」という二つの要素によるものである。
例えばエイケンはリレーを選択した理由に関するインタビューの中で、「答えは製造コストにある(the answer is money)」、「真空管を用いたデジタル・カウンターの技術を利用することで、電子的部品を用いて製造可能なことは明らかであった。・・・もしRCAが興味を持っていれば、[真空管を用いた]電子的計算機となったであろう」(Cohen,1999,p.43、[]内は引用者による補足)と述べている。
リレー式計算機は第二次大戦中だけでなく、Harvard Mark Iの後継機Harvard Mark II(1947)などに見られるように第二次大戦終了後も製作されている。ENIAC(1946)やEDVAC(1948)など真空管式電子computerが登場した後に、リレー式computerが単純に時代遅れのものとしてすぐに廃れたわけではなく、その研究・開発は引き続き行われていた。
戦後日本でもリレー式計算機の研究・開発がおこなわれている。例えば日本で最初に製作されたデジタル式計算機である電気試験所のETL Mark I(1952)はリレー式computerであったし、その後継機のETL Mark II(1955、リレー数22,253個)もリレー式computerであった。また富士通は、1950年代には真空管式電子computerの研究開発が主流であったにも関わらず、「当時の真空管の動作があまりにも不安定だった」ことや「電話交換機に用いられる部品であるリレーに関して優れた技術的蓄積が社内にあった」といった技術的理由からFACOM 100(1954)という日本初の実用リレー式computerを開発するとともに、その後もFACOM128A(1956)、FACOM128B(1958)、FACOM138A(1960)などリレー式の大型computerの研究開発・販売をおこなっている。
 
「リレーを演算素子とする機械的calculator」としてのカシオリレー計算機14-A(1957)
プログラム型計算機であるcomputer分野だけでなく、四則演算など数値計算を主とする計算機であるcalculator分野においても、リレー式計算機の研究開発がおこなわれている。

たとえばカシオ計算機は、1957年にリレーを用いた卓上型電子calculator「カシオ14-A」(消費電力300W、重量120kg、高さ78cm×幅101cm×奥行42cm)を完成させ485.000円で販売を開始した。「カシオ14-A」は、テンキー入力で数値をランプで表示する方式を採用しており、リレー式であることから歯車式に比べて加減算で3~4倍、乗算で6~7倍という早さで14桁の計算をした。なおテンキー方式を採用したのは、卓上型calculatorとして数値入力部の大きさを小さくするためであった(フルキー方式の卓上型calculatorでは四則演算可能な桁数を大きくすればするほど、桁数に比例して入力部のスペースが大きくなってしまう。)。

[図の出典]内田洋行の1958年のカタログ[電卓ミュージアム所蔵、http://www.dentaku-museum.com/calc/calc/2-casio/1-casiod/br/b-1.jpg]
上記カタログでは、「わが国には,欧米各国より,多種多棟の電気計算機が輸入されておりますが,それらの電動計算機は,純機械的な構造のため,機能的な限界があり,止むところを知らない近代企菜の発展には,どうしても適応しない,と云う大きな欠陥がありました。」とした上で、「觉子計算機と共に計算機の双璧とも云われる継電器(リレー)による純国産の計算機」を開発した、としている。なおかつカシオは、従来のリレー式電子計算機が富士通のFACOM 100(1954)やFACOM128A(1956)などのように「実験室または研究室用の著しく大型」のものではなく、機能・性能を絞ることによって小型化した、としている。
 リレーを演算素子とすることにより、「故障がほとんどなく、数千万回の動作にも耐える」、 「本機の計算速度を電動計算機の回耘数に換算すると毎分1300〜1500回転の速度に相当し,軽快なキータッチで正確な答が得られる。」などといった「電動計算機の遠くおよばない数多くの特長」を備えることができるようになったとしている。
 リレー式電子computerでは22,253個ものリレーを利用したETL Mark II(1955)などに見られるようにプログラム演算、メモリなどの多様な機能を実現するために多数のリレーが使用されていた。これに対して普通の事務作業用途での使用を想定し、小型軽量化や低価格化を実現するとともに、四則演算などに機能を限定したcalculatorであるカシオ14-Aでは使用するリレーの数を342個までに減らしていた。
カシオはその後もリレー式計算機の開発を続け、1964年6月にはカシオ401を、1965年5月にはカシオ402を発売している。

富士通のリレー式計算機

https://www.fujitsu.com/jp/about/plus/museum/relay/
富士通は、富士通沼津工場池田記念室に設置されているFACOM128Bと、川崎工場富士通テクノロジーホールに設置されているFACOM138Aに関して、動態保存をおこなっている。本WEBページはそのことに関する紹介ページである。
リレー式計算機とは、演算素子として電磁リレーを用いた計算機である。リレー式計算機では、電磁リレー(電磁石を使ったスイッチ)の接点に電流が流れるか流れないかを電気回路のON/OFFに対応させて計算を行っている。
 FACOM128Bでは、CPU(中央演算処理装置)部分に約5000個のリレーを使用している。同機では「リレーは機械的に動作するため、接触不良を起こしにくい回路設計やリトライ機能(自己検査機能)に工夫がこらされた」とされている。
 
2.電磁リレーの動作図
電流が流れていると、図aのように電磁石に発生した磁力によって接点が「吸引」されて「ON」状態となる。電流が流れていないと、電磁石の磁力がなくなるため、ばねによって図bのように接点が元の位置に「復帰」し「OFF」状態となる。

松下電器製造・技術研修所編(1978)『制御基礎講座1 プログラム学習によるリレーシーケンス制御』廣済堂出版、p.63。
 
3.富士通のリレー式計算機FACOM128(1956)の広告(1957年)
以下の広告は、科学技術庁監修(1957)『科学技術展望』Vol7 No2に掲載されていたものである。

広告1.富士通のリレー式計算機FACOM128(1956)のスペック広告(1957年)
プログラミングが容易であることを第一の特長として挙げるとともに、第2の特長として「演算速度が大」とし「本機によって演算を行うときは人手を用いる場合の100倍以上の能率を上げることができます」とされている。
 電磁リレーは機械的装置であるため、その演算速度は現代的視点から見るとかなり遅かった。すなわち演算の実行速度は、加減算0.15秒、乗算0.15~0.4秒、除算および開平算 0.2~1.4秒などというように、低速なマシンであった。

 
広告2.富士通のリレー式計算機FACOM128(1956)のシステム構成に関する広告(1957年)
リレー式計算機(図では継電器架と表記されている)の入出力装置として、カードリーダー、数値テープ読取機・穿孔機、命令テープ読取機、印刷機、テープ作製台が例示されている。
また用途として、「天体科学、工業技術、経済数理、その学術一般」を挙げている。

富士通リレー式計算機のシステム構成

 
広告3.富士通のリレー式計算機FACOM128(1956)の製造プラントにおけるプロセス・オートメーション利用に関する広告(1957年)

マイクロプロセッサおよびコンピュータの用途としての「遊び」の認知ー米国における先行性

遠藤諭(2019)「TK-80、PC-8001、NECのパソコンはこんな偶然から始まった」遠藤諭のプログラミング+日記 第67回、2019年08月08日
https://ascii.jp/elem/000/001/912/1912291/

「知った瞬間なんていうと突然目の前に現れたみたいですが、NECのICを製造している部門が『これからはマイコンチップ』だろうと言い出したんですね。インテルとほぼ同じ頃に、μCOM4という4ビットのマイコンを作ったんですよ。ところが、半導体チップというのは、作るとなると一度に何千個もできてしまう。社内では『これほど大量に製造して、使い道があるのか?』という声がありました。そんなときに、私が、マイコンチップの販売を命じられたのです」
マイクロコンピュータ販売部の部長に任命され、半期にチップを1億円売れというノルマが課せられた。ところが、トランジスタは「真空管からの置き換え」だったが、マイコンチップは、いままでまったく存在しなかったニーズを引き出すことから始まる。「むこうは自社製品にマイコンチップを使うなど考えたこともない。話にならないんです」という状況だった。このまま暗中模索ということになりそうだが、すぐに腰を上げて動いてしまうのが渡邊氏だった。
 「まずはアメリカで4004がどういう市場で使われているのかを調査ですよ。当時、カリフォルニアのベイエリアでマイコンクラブが結成され始めた頃でした。『ピープルズ・コンピュータ』というクラブ会報の『ドクター・ドブズ・ジャーナル』が創刊された頃で、その会合にも行きました。そこには、ジーパン姿でラフな服装をしたヒッピーのような人々ばかりがいましたが、彼らは、『コンピュータなんかオモチャに使う時代だよ』など、当時の日本では思いもつかないことばかり言っていましたね。帰国して『アメリカではコンピュータの概念が覆っている』と報告しますと、会社の上層部に『コンピュータを遊びに使うなんて不謹慎だ』と言われた時代でした。今では嘘みたいな話ですけど、本当にそういうムードでした」
 

マイクロプロセッサーの販売拡大手段としてのマイコンキット

「座談会ーパソコンが社会生活•文化を変える」『パソコン白書92-93』p.185
「メーカの立場から言いますと,パソコン開発の動機はある意味で不純でした。マイクロコンピュータをいかに拡販していこうか。そのためにはこんなマイコンのキットをつくったらいいのではないか。パソコンみたいなものを構築できるのではないかというところからスタートしたのです。」
[注]上記引用文章における「マイクロコンピュータ」という用語で意味しているのは、現代的用語でいえばマイクロプロセッサのことである。
 
8ビットマイコンは、市場を開拓しなければ売れないという点においては4ビット以上だった。しかも、買う側に、それを使いこなす能力(リテラシー)がないとそもそも動機づけも発生しない。国内では、まだまだ4ビットの需要がほとんどで、「8ビットはいらない」という声もあったという。そのため、μCOM80は、とにかく絶望的に売れていなかった。

 ユーザー教育のために、渡邊氏は、「NECマイコン教室」というものを全国あちこちで開くことにする。マイコン自体の認知が少しずつ進んでいたこともあって、小さな会社から大企業の社員までが集まった。ところが、なんとかマイコンを使った製品を自社でも作れないかと、がんばって勉強してくれるのだがなかなか習得が進まない。

 「コンピュータの教育というのは、当時、どうやってやっていたかといいますと、教室で黒板とテキストを使って講義をしていたのですね。しかし、それでは、3回きいても4回聞いてもなかなか理解できないんです。ところが、実物を相手にして、コンピュータの反応を直に自分で体験していくと、いままで30分かけないとわからなかったことが、あっという間に頭に入ってしまうんですね。それで、これは教材を作らないといけないというわけで、教材を開発することになったのです」

「マイコンチップ自体がコンピュータですから、これをプリント基板にのせて作るわけですが、問題は入出力機器です。当時、そのような場合にはASR-33という端末が有名でしたけど、いわゆるテレタイプをつなぐのですが、それだと教室に一台しか持ちこめない。しかも、その一台は先生がやってみせるだけで肝心の生徒はいじるわけにも触る訳にもいかない。それでは教育効果があろうはずがありません」

―― それで生徒各人がもてる教材を作った!

 「そうです。みんなの机にのるだけでなく、入出力機器まで備えたワンボードコンピュータが、いちばん効率的だろうということで開発することにしたのです。それが、TK-80になるわけですが、これはコンピュータとして売っていこうというつもりで作ったのではなく、『マイコンを知ってもらうためにはどうしたらいいか?』ということで作ったのですね。したがいまして、名前もTKは《トレーニングキット》となるわけです」
 

 しかし、教材を作ろうと決めてからが苦労の始まりでもあった。NECは代表的なコンピュータメーカーだったが、とてもこのような教材を作るのに社内の協力を得られるとは思えない。そこで、マイクロコンピュータ販売部の中で、後藤富雄、加藤明、半田幹夫の3名を中心にして、ワンボードマイコンの開発にあたることになる。

 

バンダイのピピンアットマーク(1996年3月):アップルとバンダイの共同開発によるゲーム専用機

総販売台数 4万2千台[北村ヂン(2019)]

[図の出典]日本語版ウィキペディア「ピピンアットマーク」https://ja.wikipedia.org/wiki/ピピンアットマーク

嬉野勝美(1996)p.48によると、アップルとバンダイの共同開発によるゲーム専用機ピピンアットマークに関して、バンダイは同機の開発に100億円を投資し、Appleも1996年1月の株主総会で同機を端末として活用していくと発表している。
宮河恭夫(当時、バンダイ・デジタル・エンターテインメント取締役)が映像産業振興機構(2019)の中で語っているところによれば、ピピンアットマークの事業を担っていたバンダイ・デジタル・エンタテイメント社が解散した時の特別損失の額は、270億円と当時のバンダイの利益を上回る巨額なものであった。

 
価格
基本セット49,800円(税抜価格)
専用モデムが付いたネットワークセット64,800円(税抜価格)
[電話線接続によるインターネット接続サービス「アットマークチャネルクラブ」サービス(月額2,000円)]
 
仕様
画面出力解像度:640ドット×480ドット
CPU:PowerPC 603(66MHz)
RAM:6MB
4倍速CD-ROMドライブ
 
付属品、ソフト
ATMARKコントローラー
通信対応総合ソフト「テレビワークス」
ユーティリティソフト「PEASE」
 
別売品、対応品
専用キーボード(9,800円)
専用1.44MBフロッピーディスクドライブ装置(12,000円)
Apple Color StyleWriter 1500等のプリンタに対応
 
 
バンダイのピピンアットマーク関連WEB記事

  1. 北村ヂン(2019)「世界で一番売れなかったゲーム機「ピピンアットマーク」を買ってみた」デイリーポータルZ、2019年4月28日
    https://dailyportalz.jp/kiji/play-the-pippin-atmark

  2. PCウォッチ編集部(1998)「バンダイ、ピピンから撤退。BDE清算」PC Watch、1998年2月27日
    https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/980227/bandai.htm

  3. 嬉野勝美(1996)「500ドルマック「ピピン」の行方」『マイクロソフト・インターネット制覇の戦略』TBSブリタニカ,pp.48-50
    宮河恭夫(当時、バンダイ・デジタル・エンターテインメント取締役)が「ピピンは今までパソコンやインターネットさえ知らなかった、という人向けの商品なのですが、(市場に現れた最初のネットワークコンピュータということで)むしろ従来からのコンピュータユーザーの方の購入も非常に多い。反響の大きさに驚いています。手応えはかなり感じますね。」と述べていることに関する、p.50に紹介されている成毛真の予想が興味深い。すなわち同氏は、「インターネット端末」としてのピピンという製品コンセプトが適切ではないことを次のように語っている。

    「ピピンのコンセプトは比較的わかりやすい。悪くないと思う。彼らは成功するかも知れない。ただオラクルやIBMのいっているようなネットワークコンピュータの場合、ビジネスのコンセプトやマーケティングのコンセプトはわかっているんだけれども、製品のコンセプトが全然わかっていない。500ドルのノートパソコンでインターネットをやろうとしたら、パソコンの値段よりも実はコミュニケーションコストの方がどの国も高い。ISDNを入れたらアメリカにしろ、日本にしる500ドルより高い、年間に払うお金が。年間で10万円以上通信費用を払える人がなんで500ドルパソコン買わなきゃいけないの、ってことになる。普通1000ドルのパソコン買いますよね。経済的な面の認識が甘い。・・・大失敗という報道が一年以内にあるんじやないか」

  4. 大陸新秩序(2020)「“世界で最も売れなかったゲーム機”ピピンアットマークの真実とは。「黒川塾 七十六(76)」聴講レポート」2020/06/01
    https://www.4gamer.net/games/999/G999905/20200601101/

    メディアコンテンツ研究家の黒川文雄氏がホストを務めた2020年5月30日開催のトークイベント「エンタテインメントの未来を考える会 黒川塾 七十六(76)」の聴講レポート
    メディアコンテンツ研究家の黒川文雄氏と同姓同名のF2代表取締役社長の黒川文雄氏によるピピンアットマークに関する回想。黒川文雄氏は1995年からMacOSの販売代理人としてピピンアットマークの開発に携わった経験に基づき、次のような興味深い事実を紹介している。

    ピピンアットマークの企画のきっかけは,当時バンダイビジュアル株式会社がリリースしていた各種のマルチメディアCD-ROMソフトのタイトルをMacなど高価格なPCを使わずに再生できないかという話からであった
    当時財政的に厳しい状況に陥っていたAppleは、子どもをターゲットとした低価格機にMac OSをライセンスすることでライセンス収入の拡大を意図していた。

  5. 映像産業振興機構(2019)「バンダイナムコエンターテインメントの社長が語る、これまでの挑戦と失敗。成功体験から学ぶ、挑戦する人が生き残れる会社へ。」(VIPOアカデミー「コーポレートリーダーコース」講演より再構成)2019.11.21
    https://www.vipo.or.jp/interview/list/detail/?i=1505

    宮河恭夫(当時、バンダイ・デジタル・エンターテインメント取締役)が当時を振り返って次のように製品コンセプトを語っている。

    「その頃、CD-ROMのゲームが流行り始めた時代だったので、ハードディスクを持たないマルチメディア機を開発しようと思ったんです。その時の広告コンセプトは高城 剛さんが挙げてきた「インターネットをテレビで見よう」というコピーで、私は「これだ!」と思いました。しかし、早すぎた。(笑)
    当時、インターネットは雑誌で見るものだったんです。インターネットが普及し始めて、「wwwはこんな世界だ」と雑誌で画像写真を載せて紹介していました。そんな時代に「インターネットをテレビで見よう」なんて言われても誰もピンときませんよね。それに技術も追いついていませんでした。」「「3歩先より半歩先」ということです。「ピピンアットマーク」は完全に30歩くらい先を行っていました(笑)」

  6. Innocente, F.(2018) “Pippin, le symbole d’une Apple qui n’existe plus” 2018/05/01
    https://www.macg.co/materiel/2018/05/pippin-le-symbole-dune-apple-qui-nexiste-plus-102052

  7. MOSS, RICHARD (2018) The Secret History of Mac Gaming, Unbound, 416pp
    MOSS, RICHARD “The Mac gaming console that time forgot:From the new book, The Secret History of Mac Gaming, remember Project Pippin?” 2018/3/24
    https://arstechnica.com/gaming/2018/03/the-mac-gaming-console-time-has-forgot/

Apple関連資料

雑誌論文
  1. 秋野晶二(2015)「アップル社の成長過程と生産体制の現状に関する研究」『立教ビジネスレビュー』8, pp.41-60
    https://ci.nii.ac.jp/nrid/9000331457813

  2. 秋野晶二(2017)「アップル・コンピュータ社の成長と近代企業(上)」『立教ビジネスレビュー』10, pp.59-78
    https://ci.nii.ac.jp/naid/120006354617

  3. 秋野晶二(2016)「アップル・コンピュータ社における成長過程と事業構造の転換」『工業経営研究』30(1), pp.73-84
 
WEB記事
  1. 大河原克行(2018)「ウォズニアック氏、「エンジニアのあり方、スティーブ・ジョブズ、巨大企業の危険性」を語る」PC Watch、2018年10月9日
    https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1146756.html

  2. Forbes JAPAN 編集部(2019)「「もう一人のスティーブ」が語る、アップルとジョブズへの素直な思い」2019/01/23
    https://forbesjapan.com/articles/detail/25071

Annual Report

1994年以降のAnnual Reportは、AppleのIRページ、https://investor.apple.com/sec-filings/default.aspxからダウンロードできる。
1986年のAnnual Reportに関しては、下記からダウンロードできる。
1986 Annual Report

Case Study

Mittan, Shane R. (2010) “APPLE: A Case Study Analysis”
https://www.researchgate.net/profile/Jorge_Gomes3/post/What_was_the_organizational_model_that_Apple_used_to_follow_at_the_time_of_Steve_Jobs/attachment/59d6458079197b80779a099f/AS%3A453621964906498%401485163312480/download/Mittan+2010+APPLE+-+A+Case+Study+Analysis+2010-01-28.pdf

興味深いエピソードを紹介しているWEBページ

  1. GIGAZINE(2014)「「Appleはガレージで創業していない」「ジョブズはApple IIで変わった」など、Appleの真実をウォズニアック氏が語る」gigazine.net, 2014年12月05日
    https://gigazine.net/news/20141205-wozniak-debunk-apple-story/
    “Steve Wozniak Debunks One of Apple’s Biggest Myths” Bloomberg QuicktakeによるYouTubeビデオ
    https://www.youtube.com/watch?v=pJif4i9NRdI

  2. Sugiyama, Takefumi (2018)「Newton OS 開発終了から 20年 – Apple Discontinued Development of Newton OS」WAVEFORM LAB、2018.02.27
    https://t5blog.waveformlab.com/2018/NewtonNeverDies.html

  3. 松田純一(2013)「Apple日本上陸におけるキヤノン販売の英断を考察する」2013-07-22
    https://appletechlab.jp/blog-entry-799.html

その他

  1. Fallon, Mary A. C. (revised by Amy Wohl,2003) “Apple Computer, Inc. “ Encyclopedia of Computer Science, January 2003, pp.68–73
    https://dl.acm.org/doi/pdf/10.5555/1074100.1074129

  2. Spicer, Dag (2009) “EARLY APPLE BUSINESS DOCUMENTS” Computer History Museum blog, June 02, 2009
    https://computerhistory.org/blog/early-apple-business-documents/

マイクロプロセッサに対する1970年代における社会的評価

1970年代日本におけるマイクロプロセッサの評価 - ユーザー視点から見たマイクロプロセッサ採用のメリットデメリット

広瀬治臣(1978)「システムの設計問題」電子通信学会編『マイクロコンピュータとその応用』電子通信学会,第7章,p.186の表7.2「ユーザーの実用結果から見たマイクロコンピュータシステム採用の効果」(S51電子協調査結果)の一部,「C.ソフト開発をどこでやるか」,「D.製品の価格構成」,「E.マイクロプロセッサ採用効果(実績)[削減費用,削減人員]」の項目は上記引用では削除した。

IBM PC(1981)のハードウェア構成および価格 – 競合機種との比較

IBM PC,System/23, Displaywriterの価格比較
製品モデル
(model)
ビット数
(Word Size)
最小構成
(Minimum Configuration)
最大構成
(Maximum Configuration)
RAM Storage Price RAM Storage Price
PC 16/8* 16K Tape $1,565 256K** 320K $4,515
System/23 8 32K 250K $4,630 128K 4.400K $12,995
Displaywriter 16 160K 250K $5,095 256K 2,000K $8,670
 

* Identifies the 16-•bit internal bus and 8–bit data bus of the 8088 microprocessor used in the Personal Computer. See chapter 2 for more detail on this subject.
** Expansion to this capacity will not allow the use of peripherals other than printer display and disk drives. All expansion slots will be filled with memory expansion cards and a display printer adapter card. If a color display is used, a printer cannot be used unless an expansion chassis (non-IBM) is utilized.
[出典]DeVoney, C. (1982)IBM’s Personal Computer, Que Corporation, p.18のTABLE 1.2 IBM Family Small Computer Hardware Configurations

 
IBM PCと同時期のPCの価格・性能比較
製品モデル
Model
画面解像度
Display Size
CPU
(Processor)
RAM最小構成
Min RAM
最大拡張限界
Max Expansion Limit
RAM
(K)
価格
Computer
Price
RAM Disk
Capacity(2)
Commodore
VIC 20
22×23 6502A 3.5K $300 32K 340K
TRS-80
Color Computer
32×16 6809 4K $399 16K N/A
Atari
400
40×24 6502 8K $399 16K N/A
Ohio
Scientific C1P
24×24 6502 4K $479 32K 160K
TRS-80
Model III
64×16 Z-80 4K $699 48K 313K
Ohio
Scientific C4P
64×32 6502 8K $879 24K 160K
Ohio
Scientific C8P
64×32 6502 8K $895 32K 500K
Atari
800
40×24 6502 16K $899 48K 176K
Commodore
PET
40×25 6502 16K $995 32K 2000K
Apple II 40×24 6502 16K $1330 64K 286K
Commodore
CBM
80×25 6502 32K $1495 32K 2000K
IBM PC 80×25 8088 16K $1565 256K 320K
NEC 8000 80×24 Z-80A 32K $1600 64K 328K
 

Arranged in the order of price for the minimum configuration.
No peripherals such as printers are included in the prices listed above.
Prices do not include monitors as many of these units are used with TV sets. The Commodore models, except VIC 20; TRS-80 Model III; and NEC computers have built-in monitors.
[出典]DeVoney, C. (1982)IBM’s Personal Computer, Que Corporation, p.20のTABLE 1.3 Popular Small Computers Minimum Configuration (Cassette Based)

 

集積度向上によるマイクロプロセッサーの信頼性向上

マイクロプロセッサの構成素子数増大による信頼性向上
「マイクロコンピュータの出現は,在来のディスクリートアセンブルを行ったコンピュータに比べてハードウェアの信頼性が飛躍的に向上し,ここにコンピュータを一般部品と一体にし製品化することを可能ならしめた.
マイクロコンピュータは半導体の集積化技術により,部品点数の減少と設計条件下での使用および高信頼回路設計の面,プリト板の減少とコネクタの減少の面でシステムの信頼性が確保できる.一方,アナログ回路に比べて機能の診断を組み込むことが容易であり,より高度の異常検出と故障診断の機能が開発されフヱールセーフなシステムとして設計できる点に注目すべきである.
現在の使用経験では,平均的にMTBF1万時間以上,寿命5年以上となり(2),今後は,設置環境条件(温度•湿度•電源供給など)の変化にも耐え,使用方法による影響を受けないようにすることにより5~15万時間近くのMTBFを持たせることができよう.」
[出典]東山尚(1978)「応用システムの設計と開発」電子通信学会編『マイクロコンピュータとその応用』電子通信学会,第9章,p.269
注2の文献『マイクロコンピュータに関する技術動向調査(2)(VI.応用技術)』日本電子工業振興協会,52-A-122 (昭 52-03).