モトローラのCPU歴史関連

Michael HolleyがM6800の起源を研究する中で見つけた、モトローラのM6800およびモステクノロジーのMCS6502に関連する論文資料が紹介されている。
その中では、モトローラのMC6800がサンプリング出荷の段階からフル生産の状態に移行しつつあることや、少量出荷時でMC6800の価格が$360、ROMが$35、RAM(MCM6810L,128-word-by-8-bitすなわち128byte)が$30.5であることを報じたElectronics December 26, 1974, Vol. 47 No. 26 (Published December 20, 1974) pp.114-115などの記事をダウンロードできる。
 
安田寿明「モトローラCPUの歩み」『THE COMPUTER』1988年8月号,p66
 
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/FEATURE/20141212/394137/
『日経WinPC』2010年8月号に掲載された連載「CPU今昔物語」を再掲したもの
 
3011年7月4日から同年10月30日にかけて、蝉の輪会(日立半導体OB をメンバーとする任意団体)のホームページに掲載された記事をベースとして加筆訂正されたもの。
同記事によれば、1974年10月の時点で「インテルはこの年の6月にすでに8080を製品化しており、モトローラは6800の製品発表を間近にしていた。」という状況であり、2014年10月11日のモトローラ訪問時に同社のマイコン部門のマーケティング担当のコメッツ氏により「すでに200社以上の顧客にサンプルが出されて好評を得ているとのことである。現時点ではインテルの8080がシェアを独占しているが、6800は「5ボルト単一電源」の特長があって使いやすく、2年後の76年時点では50%の市場シェアを取れると確信しているとのこと。また、セカンド・ソースを持つことによって顧客に安心感を与え、インテル陣営に対抗したいとのことで、日立がセカンド・ソースになることを歓迎する」との説明を受けたとしている。
同記事によれば、日立では「8ビット・マイコンについてはシステム・アーキテクチャの設計が最重要であり、デバイス・プロセス技術者を主体とする半導体事業部のリソースのみで取り組むことは難しいと判断していた。中研のシステム部門の助けを借りることにして、72年下期から「依頼研究」の形でオリジナル品の検討が進められた。」が、マイクロプロセッサ事業の立ち上げが急務であるとの認識から、8ビット・マイクロプロセッサ製品に関しては「独自開発」の検討は続けつつも、「先進メーカーとの連携によるセカンド・ソース」路線の採用が必要であるとの意見を牧本次生を具申している。
牧本次生によれば、その理由は「社内でも独自の8ビット品についての検討が進んでいたが、インテル社の8080、モトローラ社の6800との比較検討では、性能的に勝ち目はなかった。その理由の一つはインテル、モトローラともにNMOSベースの製品を開発していたが、日立の製品はPMOSがベースになっていた。PMOS LSIの技術によって電卓で圧勝したことが却って裏目に出たといえるかもしれない。」という認識に基づくものであった。
 その中で1974年5月に訪米し、「WE、RCA、IBM、TI(ダラスとヒューストン)、モトローラ、フェアチャイルド、HAL(日立アメリカ)」などを訪問した結果などを踏まえ、「技術ベースの比較、あるいはマネジメントの視点での戦略シナリオ比較など、多くの議論」をした結果として、「8ビット・マイコンについては、オリジナル製品での勝ち目は難しい。インテルまたはモトローラとの提携が必要」ということが決まり、インテルとモトローラの交渉に臨んだが、セカンドソースの利用承諾をインテルからは得られず、モトローラと組むことになった。
 
MC6800関連資料